ついこの間のことのようですが、3内の病棟で研修させていただいたのが35年も前になります。
年を取ってきて頭も体も少しずつ弱ってきましたが、気持ちはその頃とあまり変わっていないように思います。
国立津病院で11年余り勤務させていただいた後、久居の町はずれで開業して20年目です。
田舎の医者をのんびりと、時にはあわただしくやってます。
普通の人より少しだけ病気のことを知っていて、何か助けになれればという気持ちで仕事をしています。
天才棋士、藤沢秀行が「囲碁の世界全体を100としたらお前はその内どれ位分かっているか」と聞かれて6と答えたという逸話があります。
体のこと、病気のこと100の内私はどれ位知っているだろう?
1も知らないのではないだろうか。
日頃の不勉強の反省と、本当に分からないことが多いなあという実感。
患者さんの質問に「分かりません」と答えることがよくあります。
本当に分からないことと、知っていなければならないのに知らないことを間違えないようにしないといけませんが、ちょっとあやしい時もあります。
内科の医者にとって大切なものは言葉だと思います。
饒舌なわけではなく、上手に話ができるわけでもありません。
でも言葉を大切にしたいと思っています。
忙しい時はなかなか難しいですが、患者さんの話をなるべくゆっくり聞くように心がけています。
ポンポンポンとではなく、少しゆっくりと聴診器を当てるようにしています。
私が医者になった頃には患者さんに「がん」の告知はほとんどされていませんでした。
「がん」の診断がつくと本人には内緒で家族を呼んで、家族に病気の説明をすることが多かったように思います。
しかしそのようなことには違和感がありました。
末期がんの患者さんの治療に「敗戦処理」という言葉が使われていたことにも違和感を覚えました。
ちょうどその頃、それまでタブー視されていた「死」についてきちんと見つめていこうという考えがしだいに広まりつつありました。
「死生学」とか「ターミナル・ケア」などについての本が出始め、アルフォンス・デーケンの「死への準備教育」とか山﨑章郎の「病院で死ぬということ」など色々読みました。
特定の宗教を信仰している訳ではありませんが、宗教の本も読みました。
色々と勉強した後の私の結論は単純でした。
人は誰でも死ぬ。そして「死」は敗北ではない。
「死」が敗北だとしたら、人は常に敗北して人生を終わるということになってしまいます。
治療は治療として、人は誰でも最後は死ぬのだから死ぬ場面になったらなるべく安らかに亡くなっていただけるように、その手助けをしてあげるのも医者の役目の一つだと思うようになりました。
そして、患者さんに正直に病気のことを説明することがしだいに増えていきました。
年に数人ですが在宅で看取らせていただいています。
ほとんどの場合、積極的な治療はせずそっと見守っているだけです。
時代は変わって、最近は患者さん本人に「がん」の告知がされることが多くなってきました。
それはそれでいいのですが、気になることがあります。
告知された後のフォローが全くされてないような話を患者さんから聞くことがあります。
「がん」は医者にとってはありふれた病気ですが、患者さんにとっては「がん」の告知を受けるということは大変なことだと思います。
具体的にどのように対処したらいいかはその人その人によって違うでしょうが、常に患者さんに寄り添う気持ちを持って接することが大切だと思います。
おしまいに、誰が言ったのか忘れましたが「人はいつでも若い」ということ。
若い時は本当に若い。
年を取ってきた時、もしも来年生きているとしたら来年の自分より今の自分のほうが若い。
来年の自分より今の自分のほうが元気でしょう。
気持ちの問題ですが、この仕事が好きなのでもうしばらく続けていきたいと思っています。
平成24年8月
藤本内科 藤本裕一